これまで、中国の麺料理(小麦粉料理)を日本が受け入れる時、そのまま受け入れたのでなく、何らかのアレンジが加えられてきた。肉食禁止令化の日本においては、肉、特に豚肉の忌避、脂肪分への忌避が顕著であり、そのためアレンジというより、根本的な和風化がほどこされ、もとの料理とは全く異なるものになることもしばしばだった。
本場の中国では、水餃子が当たり前で、焼餃子は例外的なものとされる。水餃子の残りを焼くことはあったとされるが、それは残り物の再利用であって、はじめから焼餃子を作ることはないという。
中国には鍋貼(コーテル)という料理が有り、日本ではこれをしばしば焼餃子と同一視している。町の中華屋さんで、餃子を頼むと、「コーテル、イーガー(一つ)」と厨房に注文をとおしていたりしていたことをご記憶の方もおられるだろう。鍋貼は、字のごとく鍋に貼り付けて油で蒸し焼きにする料理で、作り方も小麦粉の皮に肉や野菜の餡を包み込むのだから、餃子に酷似している。しかし、その形態は餃子が餡を完全に包み込むのに対し、鍋貼は両端が開いたままである。鍋貼は、屋台の料理で、両端をわざと閉じないことで、匂いを発散させ、食欲を誘うものとされる。似てはいるが、本来は異なる料理なのである。
戦争の食糧危機の中では、豚肉や脂肪の忌避はまるで問題にされない。食べることが最優先であり、好き嫌いは二の次になる。肉と脂肪は、身体の欲求を満たすためには、歓迎されこそすれ、敬遠されるものではなくなっていた。餃子の日本的アレンジは、だから、日本の食習慣に合うようにすることが目的ではなかった。換わって、餃子の日本化をすすめたのは、食糧危機という状況だったのであり、それまでの日本化とは全く異なる方向になるのは当然のなりゆきである。
中国で餃子と言えば、水餃子が主流である。だが、日本では焼餃子が主流になった。それまでの日本的嗜好では、あっさりした水餃子が好まれるはずである。だが、実際は逆になり、水餃子はほとんど見向きもされず、「餃子と言えば焼餃子」が日本の常識になってしまった。食糧危機の中で、選択の方向が逆転したのだ。