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Channel: 宇都宮餃子連
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餃子だって麺料理!? (20)

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戦争が終わって、餃子を作る人と食べる人の層は厚くなり、日本に餃子が登場する条件が整った。だが、結果的に餃子が普及する条件を整えた戦争と、その終結後の社会情勢は、日本の餃子の進路に大きく影響した。
 
餃子が、日本の食卓に登場するのが戦後であったことが、中国の餃子と日本の餃子を異なるものした。
 
中国における餃子は、南方系と北方系に大別することができる。南方系の餃子は、おやつとしての性格が強い。中国南部では、米を主食としている。そのため麺料理(小麦粉料理)は、主食の座を奪うことができず、脇役として発展を遂げた。餃子もまた、点心として飲茶などの際に、おやつとして食べられている。そのため、餃子の具(餡)だけでなく、皮にもさまざまな材料が使用されている。一方、北部では、気候・風土の関係から稲作は困難で、古くから稗(ひえ)・粟(あわ)・高粱(こうりゃん)などの雑穀が主食だった。小麦が伝えられると、雑穀を主食の座から追いやった。麺料理(小麦粉料理)は、中国北部では主役に躍り出た。麺料理の仲間である餃子もまた、中国北部では、主食であった。そのため、豚肉と白菜を主材料とするオーソドックスな餃子が主流を占めている。
 
日本における餃子は、基本的には中国北部の餃子の系統になる。それは、戦前に日本人が軍人として、あるいは民間人として中国に渡っている先の大多数は中国北部であった。より多くの人の舌に馴染んだのが、「豚肉と白菜を主材料とするオーソドックスな餃子」だったことを考えれば当然だったろう。
 
中国北部の餃子が、日本においては主流になった理由は、しかし、もうひとつ重要な原因がある。それは、戦争直後の食糧危機である。この食糧危機の中にあっては、南方系の餃子に必要な食材を集めることは困難だった。北方系の餃子のようなシンプルな餃子こそがこの時代では主人公になりえたのである。

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