中国農薬餃子が宇都宮餃子に残した影響 (5)
宇都宮の餃子消費者による宇都宮餃子の再発見によって、家計調査の「ぎょうざ」購入額のランクで唯一トップの座を譲った経過については、前項で述べた。その後は、またトップに復帰し、2位以下との差を広げてきた。ところが、2009年、宇都宮が再び王座を転落する危機に陥った。その原因を作ったのは、中国農薬餃子事件であり、ライバルは静岡市に代わって宇都宮のライバルになった浜松市である。
家計調査においては、県庁所在地及び政令指定都市のみが、集計結果の発表対象になっている。このため、浜松市は、宇都宮のライバルと目されながら「ぎょうざ」の購入額は不明だった。2007年、浜松は政令指定都市となり、2008年からは、家計調査の結果が明示されるようになった。それにさきがけて、浜松市は、自らおこなった『独自調査』なるものを根拠に「日本一」を宣言、宇都宮に挑戦状を突きつけた。注目の2008年の家計調査は、「ぎょうざ」の項目に大波乱がおきた。1月末に、あの中国農薬餃子事件が発覚したのである。「ぎょうざ」購入額は、2月から全国的に激減、とくに宇都宮での落ち込みは大きかった。そのため、一時は浜松にリードを許す展開になったが、7月には逆転、最終的には4,707円と、浜松の3,664円を圧倒した。
「ぎょうざ」の項目では、事件の影響は、直接購入額の減少として現れた。一方、宇都宮餃子自体の購入額は、むしろプラスに動いたようである。統計がないので程度は明確ではないが、宇都宮餃子会の餃子店では、「売上が上がった」という声が多く聞こえた。宇都宮餃子会は、事件の直後、会員に緊急アンケートを実施、その結果をもとに「安全宣言」を出した。この素早い対応は、消費者の好感を得、宇都宮餃子への風評被害を防ぎ、総菜店などの「ぎょうざ」から宇都宮餃子への切り替えが促進された。宇都宮以外の都市では、餃子店の餃子へシフトしようにも肝心の餃子店の数が少ない。しかし、宇都宮では、市内どこでも餃子店が身近に存在しており、切り替えは容易である。
全国的には、惣菜としての餃子の購入意欲が回復すれば、「ぎょうざ」の購入額に直結する。宇都宮では、そもそも惣菜としての餃子を餃子店で購入することが普通であり、それは家計調査の「ぎょうざ」の購入額には原則として反映されない。事件によって「ぎょうざ」から宇都宮餃子に消費がシフトされれば、「ぎょうざ」の購入額は減少する。そして、惣菜としての餃子の購入が宇都宮餃子によって充足されている以上、「ぎょうざ」購入額の回復は遅れざるを得ない。
2009年、全国では「ぎょうざ」の購入額の減少に歯止めがかかり、回復傾向が顕著になる。「ぎょうざ」の敬遠がいつまでも続くわけもなく、時間の経過とともに忌避感情は薄れる。2008年は2007年と比べ80%程度の購入額だったが、2009年は90%強まで回復した。しかし、宇都宮では、「ぎょうざ」購入額の低下に歯止めがかからなかった。さらに減少が続き、2009年も、2007年の77.8%にまで落ち込んだ。このため、2008年よりも増加させた浜松に、最終的には50円差まで追いつめられたのである。中国農薬餃子事件は、宇都宮の「ぎょうざ」購入額には大きくマイナスに働いた。
宇都宮が、「ぎょうざ」購入額で2位に転落したのは、ただ一度、1995年だった。そして、2009年はかろうじて1位は死守したものの、浜松に50円差まで追いつめられた。いずれの原因も、宇都宮餃子が力を持っていたからこその出来事だったことは、皮肉というほかない。