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宇都宮餃子とライバルの軌跡 (2)宇都宮を破った静岡

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宇都宮餃子とライバルの軌跡
 
(2)宇都宮を破った静岡
 
本場ファーストフードとの競争を、宇都宮のファーストフードである餃子は、外食・中食の分野にウィングを伸ばすことによって、さらに発展する糸口をつかんだ。宇都宮市内にくまなく張り巡らされた餃子店のネットワークは、宇都宮市民の餃子好きを加速させた。誰も知らなかったのだが、いつのまにか宇都宮は餃子の町になっていた。
 
1987年、家計調査の項目として「ぎょうざ」が登場した。この場合の「ぎょうざ」は、スーパーなどで惣菜として売られている餃子が対象で、つまり中食に含まれるものである。中食が一般化する中で、分類を細分化する必要から「ぎょうざ」が選ばれたわけで、惣菜としての餃子の位置が重くなっていた結果を示すものだろう。
 
宇都宮が餃子の町であることをはじめて発見したのは、宇都宮市の若手職員だった。彼らは、家計調査における「ぎょうざ」購入額で、調査開始の1987年から宇都宮市がトップを走り続けていることをみつけ、「宇都宮を餃子で売り出す」ことはできないかと考えた。1990年のことである。これに興味を持ったのが、当時、宇都宮市の観光課係長だった沼尾博之だった。沼尾は、こつこつと餃子店を歩き、店主を説得した。はじめは渋っていた店主たちも熱意に打たれ、1993年にようやく宇都宮餃子会が誕生する。
 
町おこしに歩みだした宇都宮餃子会に幸運が訪れる。テレビ東京のスタッフが、宇都宮に取材に来るという情報を沼尾がキャッチした。内容は別件だったのだが、彼は宇都宮餃子をプッシュした。スタッフも興味を持ち、取材に乗り出し、TV放送がはじまった。山田邦子の「おまかせ!山田商会」である。番組は大反響を呼び、レギラーコーナになった。宇都宮餃子が全国で認知された。他のTV局、新聞、雑誌なども、こぞって宇都宮餃子を取り上げ、宇都宮が餃子の町であることが確立した。
 
宇都宮餃子がブームになった背景には、通常食べられている餃子と異なる特徴や独自の餃子文化があるが、家計調査という公的な統計で日本一であることのお墨付きを得ていることが大きい。ところが、この家計調査で宇都宮がトップの位置を滑り落ちるという事態が、ブームのさなかにおきてしまう。1995年のことで、かわってトップに立ったのは静岡だった。マスコミも面白おかしく取り上げ、某TV局は宇都宮餃子会の役員を静岡に引っ張り出したりした。「宇都宮が静岡に負けた」ことが話題になる中、「なぜ、ブームの最中にトップからすべりおちたのか」はだれも説明できなかった。
 
ブームは宇都宮餃子、つまり宇都宮の餃子店の餃子である。家計調査の「ぎょうざ」は、スーパーや惣菜店の餃子が対象であり、餃子店の餃子は含まれない。それは、別項目の外食費にカウントされる。だから、宇都宮のトップ転落は、スーパーや惣菜店の餃子であって、宇都宮餃子の転落を意味してはいない。では、なぜ、宇都宮の「ぎょうざ」購入額が減ったのか。
 
宇都宮餃子がブームになって、多くの人が宇都宮餃子の存在を知った。宇都宮市民ですら、宇都宮が餃子の町であることを意識せずに過ごしていたのである。彼らもまた、多くの人のように、このブームの中で宇都宮餃子を発見した。いままで、「ぎょうざ」を購入していた人も、餃子専門店の餃子を購入した。当然、「ぎょうざ」購入額は減少する。トップ陥落は、宇都宮餃子の弱さではなく、強さの証明だったのである。
 
宇都宮市民の餃子好きは、その後も加速していく。餃子専門店の餃子だけでなく、スーパーや惣菜店の餃子の購入額も増加していった。2位転落の翌年には、再びトップに返り咲き、以後も「ぎょうざ」購入額を増やし、日本一の座を独走する。一方の静岡は、その後の町村合併の影響もあってか、むしろ減少傾向に陥った。宇都宮と静岡のライバル関係はあっけなく終了する。
 
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