宇都宮餃子とライバルの軌跡
(1) ファーストフードとの闘い
2011年の家計調査における「ぎょうざ(スーパー、惣菜店等の餃子)」で、宇都宮は史上2度目の首位陥落を喫した。東日本大震災の影響を受け、小差ながらも浜松の後塵を拝したわけである。この数年、宇都宮餃子と浜松餃子の対決が面白おかしく取り上げられた。浜松餃子は、宇都宮餃子の最大のライバルとみられている。たしかに、家計調査だけでなく、餃子そのものについて、浜松と宇都宮は地域および全国での定着度は、他のご当地餃子とは比較にならない。このライバル関係は今後も続くであろう。
しかし、宇都宮餃子のライバルが、やはり餃子というのはあまりにも単純ではなかろうか。これまでの宇都宮餃子の歴史において、餃子同士でのライバル関係という場面はそれほどない。
宇都宮餃子の歴史は、1958年のみんみんの誕生に始まる。はじめは酒のつまみとしての位置だったが、高校生の帰宅時の食べ物として人気を得るようになり、おやつ的なものになっていった。そこで、みんみんは酒類をメニューからとりのぞき、これによって「餃子だけがメニュー」という他地域では見られない独自の餃子文化を築きあげていくことにつながった。餃子は、宇都宮のファーストフードだった。
ところが、1970年代になると、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドをはじめと知る本場のファーストフードが日本にも上陸する。それは、たちまち全国に広まった。宇都宮とて例外ではない。宇都宮のファーストフードである餃子は、当然ながら打撃を受けた。
そのころ日本の食文化は大きな変貌を遂げつつあった。ファーストフードの登場もそうだが、すかいらーくやロイヤルホストなどのファミレスもこのころから急成長を遂げる。外食の時代がやってきたのだ。みんみんはこの趨勢をみて、方向転換を図る。それまでなかったライスをメニューに取り入れ、餃子ライスを始める。外食に適応した営業形態に切り替えたのである。餃子ライスは、サラリーマンなどに受け入れられた。
みんみんの方向転換に助けられたのは、正嗣だった。もし、それがなければ、目と鼻の先に店舗を構え、ともに高校生を主要なターゲットにしていたみんみんと正嗣は、共倒れになっていたかもしれない。みんみんの決断により、正嗣は従来からの営業スタイルを続けることができた。共存の道が開けたのだ。