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餃子だって麺料理!? (16) 餃子の登場

 餃子の登場
 
ラーメンは、戦前から一定の基盤をもっていたため、戦後は一挙に広がった。しかし、同じ「麺料理」の仲間である餃子は、戦前にはほとんどなじみのない食べ物だった。餃子は和風化しにくい料理だったからである。もっとも、一般的な中国北部の餃子の主要食材は、小麦粉と白菜と豚肉である。ところが、日本では豚肉は、長い間敬遠されてきた食材である。牛肉は明治時代にもてはやされたのに、豚肉がそうなるのは大正に入ってからである。それも、牛肉を使用する欧米の「コートレット(カツレツ)」を和風化した「とんかつ」として、市民権を得る。それほど、日本人の豚肉に対する忌避は根強かったのだ。
 
餃子は、非常にシンプルな料理である。肉と野菜で餡をつくり、それを小麦粉の皮で包むだけである。このシンプルさゆえに、餃子は世界各地で、多少形を変えながら定着している。
 
中国北部で発達した餃子は、農民の餃子と言ってよい。そこでは家畜といえば豚であり、野菜の代表格は、白菜である。白菜そのものが、中国北部の山東省で、ロシアから伝わった「蕪(かぶ)」と東南アジアからの「パクチョイ」がかけ合わされてできた野菜である。中国の餃子は、地場のもので作られている。
 
中国の周辺部では、農業でなく遊牧が主流になる。遊牧の民の家畜は羊である。だから、それらの地域では餃子に使われる肉も羊になる。トルコ、ネパール、アフガニスタン、ウズぺキスタンなどの餃子は羊肉で作られている。
 
ところが、日本では豚肉だけでなく、これに代わる肉も存在しなかった。肉食そのものがが原則として禁じられていたからである。餃子の餡の中味が、基本的には肉類(豚肉であれ、羊肉であれ)と野菜でできている。和風化のため、肉類を使用しなければ、それは、もはや餃子とは言えそうにない。肉を使用した餡を包み込んだ中国の包子(肉まん)が、和風化した結果、小豆餡を使用した万頭(饅頭)に化けてしまったように、あるいは、「麺条」が、日本ではうどんになったように、まるで別の料理になってしまうだろう。
 
餃子が日本で受け入れられるようになるには、豚肉に対する日本人の忌避・嫌悪感が解消する必要があった。大正時代以降、それは徐々に進んできたが、まだまだ普通の食材とは云えなかった。だが、戦争後の食糧不足は、好き嫌いを言ってはいられない状況だった。どんなものでも、まず食べることが優先した。食べられる物なら、なんでも食べた。そんなときの豚肉はご馳走である。豚肉への嫌悪感などは、一発で消し飛んでしまう。
 
しかも、中国で餃子を食べてきた人、そして、作り方を習得してきた人が、戦争の終結とともに帰還してきている。しかも、餃子は、家庭料理であっただけに、材料も、作り方もいたってシンプルであった。餃子が、日本で受け入れられる条件が揃った。

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