宇都宮みんみんのパッケージの謎
こんなブログをやっていると、とこどき質問されることがある。そんな質問の一つに答えようと思う。宇都宮みんみんのパッケージに「昭和三十三年玄舗宮島町」とあるが、この意味がよくわからないという。実をいうと、筆者にもわからない。わからないが、「たぶん、こうではないか」と思っていることはある。みんみんが、パッケージを新しくしてまもなく、この耳慣れない表記を目にして、意味を考えてみた。それを、そのまま掲載する。断っておくが、これが正解だということではない。勝手な推量に過ぎない。正解は、みんみんに聞くしかない。もし、よろしければ公式な説明をお願いしたいと思うのだが。
「昭和三十三年玄舗宮島町」の意味
宇都宮みんみんのおみやげ用の箱に、ちょっと珍しい用語がつかわれている。「宇都宮みんみん」の下に「昭和三十三年玄舗宮島町」とある。
昭和33年は宇都宮みんみんの創業の年であり、宮島町は、その場所である。宇都宮みんみんの本店の前の通りを宮島町通と言う。今は、この付近の住所表示は馬場通になってしまっているが、前は宮島町だった。
耳慣れないのは「玄舗」である。辞書を調べても、載っていない。どうも、造語らしい。造語だとしても、意味はあるはずだが、宇都宮みんみんはそれを公表していないようだ。造語だとすれば、「玄」と「舗」の組み合わせであるので、それぞれの意味を探れば、自ずと玄舗の意味がわかるかもしれない。
舗は、「店」の意味で問題ないだろう。「店舗」や「老舗(老舗)」の舗である。問題は玄の方だ。もっとも一般的な意味としては、「黒」を意味している。「黒い店舗」では意味がない。そもそも宇都宮みんみんの店舗には、黒のイメージがない。
漢字の国、中国では、玄は天の色だと言う。夜の空の果てしない闇が玄である。「天地玄黄」というように、黒い天に対する地は黄色で、これは、広大な黄土大地が広がる中国ならではの表現だろう。天は黒いと言うが、しかし、ただ黒いのではない。天(宇宙)は限りない奥深さを持っている。容易に窺い知ることのできない深い闇のつくる黒、これが玄である。
中国の思想家である老子は「玄牝の門、是を天地の根と謂う」として、玄を天地万物の根源であるとした。そこから、玄は「奥深くて暗い」、「深遠なおもむき」という意味も持つようになる。
玄と言う字で、思い出す熟語と言えば、玄関、玄妙、玄人といったところか。玄関は、住居等の建物の入り口であるが、本来は玄妙な道に入る入口のことである。玄妙とは、「道理や技芸が奥深く微妙なこと」であるから、転じて、奥深くて暗い建物の入口を玄関と称したのである。玄人(くろうと)は、技芸などが玄妙な域に達した人言い、未だその域に達していない人は白人(素人・しろうと)である。
さて、玄舗だが、こうして玄についてみてみると、うっすらと意味が見えてきそうだ。それは、まず、現在9店舗ある宇都宮みんみんの最初の店舗ということだろう。だが、それだけにとどまらない。昭和33年に開店したみんみんは、宇都宮餃子の草分けになった。宇都宮には、これより前にも餃子店は存在した。蘭鈴、忠治などがそれで、宇都宮の餃子の誕生に大きな役割を果たしたが、残念ながらいずれも今はない。また、その餃子は、宇都宮餃子の特徴から離れている。蘭鈴、忠治の餃子と、宇都宮餃子には、断裂がある。今の宇都宮餃子につながる一番古い餃子店は昭和33年に宮島町で開店したみんみんである。そこから、宇都宮餃子は始まり、発展した。
宇都宮みんみん、そして宇都宮餃子の入り口となった店、それが玄舗の意味であろう。
さらに言えば、宇都宮みんみんは、餃子専門店である。しかも、高い評価を獲得している餃子店と言っても、どこからも異論はでないだろう。言い換えれば、「玄妙な餃子を提供する餃子舗」として、宇都宮みんみんはあるとも言える。このことのひそかな矜持を、玄舗に込めたのではないか。これは、深読みに過ぎるだろうか。 (2009.10.4)