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宇都宮餃子とライバルの軌跡 (5)ライバルは別にいる 3 揺らぐ「安い」の優位性

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宇都宮餃子とライバルの軌跡
 
(5)ライバルは別にいる  3 揺らぐ「安い」の優位性
 
宇都宮餃子が有名になったころ、その安さが目を引いた。餃子一人前が二百円台は、一般的なそれの半額程度、うまくて安いと評判になった。
 
しかし、宇都宮餃子は始めから安かったわけではない。1958年に宇都宮餃子の草分けである宇都宮みんみん(当時はみんみん)が開店しているが、当時の値段は50円だった。1960年の東京のラーメンは45円だった(週刊朝日「戦後値段年表」)ことを考えると、むしろ高価だったといってよい。1983年のみんみんの餃子は150円になっている。24年の間に3倍になったわけである。同じ年の東京のラーメンは355円、22年間で8倍近くになっている。この間に、餃子は高校生などによりファストフード的に食べられることで宇都宮に定着してきている。餃子の消費者の中心が、高校生であれば、その価格の上昇は抑制的にならざるを得ない。
 
だが、宇都宮の餃子がすべて低価格ではなかった。1991年の東京の餃子の値段は417円であるのにたいし、宇都宮は362円である。確かに宇都宮の方が安いにしても、それほどの差ではない。なぜなら、当時、宇都宮では低価格の餃子専門店の餃子と、全国の価格と同様のラーメン店などの餃子が共存していた。この年のみんみんの餃子は170円だった。双方の平均がその価格だったのだ。
 
宇都宮の餃子の値段が大きく動いたのは1996年からだった。東京のそれは上昇傾向だったのに、宇都宮では年々安くなり、1998年には、東京が462円だったのに宇都宮は232円とほぼ半額になってしまった。この年のみんみんは220円、餃子専門店の値段に近づいていることになる。なにが起こったのだろうか。
 
宇都宮餃子会が結成されたのは1993年。同じ年、あの「おまかせ山田商会」で宇都宮餃子がとりあげられ、一躍全国区になったのもこの年だった。そしてこの前後、宇都宮餃子ブームをあてこんで、多くの餃子店が開業する。これらの餃子店は、競争に勝つために先発組にあわせて値段設定をおこなった。こうして、低価格の餃子店が増え、その結果宇都宮全体の餃子の値段は下っていったのである。
 
宇都宮餃子は、当初のファストフード的な食べられ方から、外食へと変換を遂げてきたことはすでに述べた。外食としての宇都宮餃子にとっても、安い値段は武器になった。餃子2人前とご飯を食べて500円程度、「ワンコイン」という言葉が一般的になるより以前から、宇都宮餃子はそうだったのである。
 
だが、いまや、宇都宮餃子は安さでも多くのライバルと闘わなければならなくなっている。バブルの崩壊以後、あらゆる業界で価格破壊が進んだ。外食業界や、弁当などの中食業界も例外ではない。いまや、ワンコインどころか、それ以下で食事をとることが可能になっている。安さという武器は宇都宮餃子の独占でなくなったばかりか、逆転の状況すら生まれている。宇都宮餃子が享受してきた優位性は失われ、その前に多くのライバルが立ちふさがっている。
 
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