「サメコ」と「ヤキウリ」
読み違いということがある。「焼売(しゅうまい)」をそのまま「やきうり」と読んだりすることだ。焼売で一番知られているのは、横浜崎陽軒のそれだろう。だが、崎陽軒のパッケージには「シウマイ」と記されているだけで、商品の漢字表記はない。シウマイは知っていても、焼売は知らない人であれば、それをやきうりと読むのは素直なことだ。焼売の兄弟のような餃子にも似たようなことがある。
直木賞作家の景山民雄のエッセー本「世間はスラップスティック」に、「だから『走れメロスは恥ずかしい』という一文がある。恥ずかしい話を題材にしているのだが、その一例として餃子がでてくる。
岐阜の山の中から上京したばかりの男がね…中略…高円寺あたりに下宿して近所のラーメン屋で三度の食事のほとんどを済ませてたんだそうだけど、壁に貼ってある品書きの中で、どうしても理解できないのがあったわけですよ。“餃子”という文字だったんだけどね。つまり、彼が東京に来るまで住んでいた所には“餃子”が存在しなかった訳だ。約2週間、彼は悩んだというね。しかし、そのカルチャーショックですらある食べ物を口にしようと、ついに或る夜決意して、ラーメン屋のカウンターにつくやいなや言ったのだそうだ。
「あの、サメコ定食ひとつ」 (新潮社版)
景山民雄は、昭和22年の生まれである。餃子をサメコと読んだ男もそれほど年齢が離れていないと思われる。だとすれば、彼が上京したのは昭和40年前後から大きく離れてはいない筈だ。景山民雄は東京出身なので、餃子はぎょうざと読むことを知っていたのだろう。この頃には、東京では餃子は普通に食べられていたことがわかる。同時に、日本全国に餃子が広まり、知らぬ人がいなくなるには、もう少し時間が必要だったのかもしれない。
「餃子」を「ぎょうざ」と読むには、餃子という食べ物の存在を知り、しかも餃子と書くということを知らなければならない。知らなければ、餃子を餃子と読むのは無理だろう。餃子は、中国では「ちゃおず」であり、「ぎょうざ」という読みは中国でも山東省あたりの読み方らしい。第一、「餃」という字が、日本にはなかっただろう。「餃子=ぎょうざ」と覚えることからはじめるしかない。読めなくて当然なのだ。
人は、自分の知らない漢字を読むとき、知っている字の類推で読むことが多い。また、それで読めることもままある。「餃」を読むなら旁の「交」に注目して、「こう」と読んでみても、この場合はそもそも当て字なのでうまくいかない。それに「こうし」や「こうこ」では意味をなさない。そこで、次に「餃」と似た字を探すのだが、すぐ思いつくのは「鮫」だろう。こうして、「サメコ」が登場してしまう。
「餃子」を「サメコ」と読む人は、意外に多いらしい。そこから出発して、「ぎょうざは、鮫の子供と形が似ている。ぎょうざを、餃子と書くのは鮫子から変化した」と解説した人もいる。子供たちに「ぎょうざはどうして餃子と書くのか」と聞かれて、窮しての回答だったようだが、その人が某餃子店の店主だったので、余計に驚いた。本人はまじめな口調だったが、本心は冗談だったのかもしれない。その子供は感心してうなずいていた。彼らは、いつ、その知識が誤りであることに気付いたのであろうか、いまでも心配している。