「悪名は無名に勝る」のか ―宇都宮餃子VS浜松餃子(4年間の検証)―
3 浜松市の「餃子消費量アンケート」のからくり
②「アンケート」が「調査」に化ける
浜松市が浜松餃子学会の要請を受けて行ったアンケートによる結果の発表は、2007年1月19日に、浜松餃子学会によって行われた。同時に、このアンケートの数字に基づいてあの「日本一宣言」がなされた。
「浜松市は去年9月に独自調査を実施した結果、市内1世帯あたりの平均年間消費量が1万9400円と、日本一とされている宇都宮市の4710円を上回ったことが分かった」(静岡新聞)
ほんとうにそうなのか。宇都宮市のそれの4倍以上と発表した根拠である『浜松市「餃子消費量アンケート調査結果」』を検証してみる。
だが、内容を検討する前に、一つ気になることがある。それは、報告書のタイトルである。報告書のタイトルは「餃子消費量アンケート調査結果」だが、この報告書の基になったのは「餃子消費量アンケート」だったはずだ。ところが、報告書になると「アンケート調査」と「調査」の二文字が付け加えられている。そのせいか、「餃子消費量アンケート調査結果」で発表された数字は小数点以下2ケタになっている。たとえば、「一世帯あたりの月間値」は「食べる回数・2.94回、食べる個数・28.08個、支出金額・2468.59円」だという。「アンケート」では、「餃子をどのくらい食べていますか?」と大雑把に回答を求めたのに「アンケート調査結果」では、さも厳密な調査であったかのような数字を示す、いかにも、「厳密な調査結果」であることを匂わしている。
「アンケート」と「アンケート調査」、大した違いではないようにも見える。アンケートも調査の一種なので、ここまでは目くじらを立てる必要はないのかもしれない。だが、発表後になると、今度は「アンケート」という言葉そのものが消え、もっぱら「調査」と称されることが多くなる。浜松餃子学会は「独自に餃子の消費調査をしました。中々厳正な調査でしたので、実際の国の調査と同じレベルの精度だと思います(斎藤氏)」とまで言うのだ。「アンケート」・「アンケート調査」と「調査」では、受け手の印象がまるで異なる。「調査」の方が、あきらかに信頼性が高いと思うだろう。
単なる「アンケート」であったものが、「アンケート調査」を経て、厳密な統計学の手法に基づく家計調査と比較するに足る「調査」に昇格させる、これは偶然なのだろうか。それとも、浜松市の「日本一」を強調するための故意なのだろうか。
「アンケート」を実施した浜松市の北脇市長は「市独自の調査」と「アンケート調査」を使い分けている。「TBSテレビ・噂の東京マガジン」では「市独自の調査」と発言しているが、活字として残る浜松市の広報紙の「市長エッセー」では「アンケート調査」である。
浜松市の「アンケート」をもとに浜松市の「日本一」を宣言した浜松餃子学会は、「調査」だとマスコミに発表している。だから、マスコミは、「浜松市のアンケートによれば」とはいわず、「浜松市の独自調査の結果」と報道した。
「アンケート」を実施した浜松市は、曲がりなりにも地方公共団体である。「アンケート」を「アンケート調査」であるとまでは言えても、「調査」と言い切るわけにはゆくまい。だが、民間団体でしかない浜松餃子学会は違う。浜松市の「アンケート調査報告」を、浜松餃子学会がどのように言っても、浜松市が直接的に責任を持たなくても済む。
齋藤氏は、「厳正な調査」で、「実際の国の統計と同じレベルの精度だと思います(下線は筆者)」と主張しても、浜松市としては、「そのようには言っていない」と言えるし、「それは齋藤氏や浜松餃子学会の見解」と逃げることができる。
ところで、齋藤氏は、当時の浜松餃子学会員ではあったが、会長ではなかった。つまり、浜松餃子学会を対外的に代表する立場でなかったわけで、その意味では齋藤氏の発言は「個人的発言」に過ぎないとも言える。では、浜松餃子学会の正式なコメントはどうか。浜松餃子学会の当時の会長である古橋佳博氏は、齋藤氏のように「厳正な調査」とか「実際の国の統計と同じレベルの精度だ」と露骨には主張しない。彼も、「アンケート」だとは言わず、「浜松市独自の調査」と表現するが、「国の統計調査と同じ手法ではありません」と逃げ道を用意する。そのうえで、「市側としては、かなり信憑性のあるデータだと確信をもっているようです(下線は筆者)」と語り、「浜松市独自の調査」が信頼できると匂わすのである。
浜松市と浜松餃子学会は単なる「アンケート」から「国の統計と同じレベルの精度の調査」という幅を巧妙に使い分け、実質的に浜松市の「日本一」には確実な根拠があるかのように装うことに成功したのである。