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餃子だって麺料理!? (14)  ラーメンの登場

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ラーメンの登場

こうして、ようやく日本の食生活に入り込み始めたシナそばだが、もうひとつ普及が進まなかった。肉食禁止令に長らく慣らされてきたため、豚肉の匂いと脂臭さにはなじめなかったのである。そこで、シナそばの和風化が進められる。かつて、豚肉の入った「包(肉まん)」の中味を小豆餡に変え、まんじゅうにすることで広く受け入れられたように。

シナそばの和風化では、日本の麺類の代表ともいえる日本そばの手法がおおいに取り入れたようだ。中国では、麺をスープで煮込むか、茹で上げた麺にスープを注ぐのが普通である。味は、直接スープにつける。ところが、現在のラーメンの作り方では、スープに直接味付けするのではなく、それとは別にしょうゆダレ・みそダレ・しおダレをつくり、スープに合わせている。

日本そばでは、しょうゆとみりん(砂糖)を材料に「かえし」というものをつくる。これにカツオ節などから取るだし汁を合わせているのだ。また、日本そばでは、種物といってそばの上にさまざまなトッピングをのせる。ラーメンもこれを受けつぎ、チャーシューやシナチクなどをのせている。いまはあまりお目にかからないが、昔のラーメンには、ナルトがのっていた。かまぼこなどのねりものをのせるのは、日本そばの「おかめ」がそうである。また、海苔のトッピングはいまでも少なくないが、江戸時代には浅草海苔を揉んでそばにのせた「はなまきそば」がポピュラーだった。

シナそばは、中華そばともよばれる。日本そばは、江戸時代には単にそばと呼ばれている。そばに似たシナ(中華)の食べ物ということで、シナそば、中華そばと呼ばれるようになったわけだが、こちらの方が一般化してしまったため、そばは区別のために日本を付けざるをえなかった。しかし、シナそばも和風化(日本化)が進むと、中国のそばとはかなり異なるものになってきた。新しいものには新しい名前が必要になる。何時しか和風化されたシナそばはラーメンと呼ばれるようになる。

ラーメンと呼ばれるようになった由来には諸説ある。たとえば、横浜の華僑相手に屋台で売られた「柳麺(ラオミエン)」からだという説。また、中国では引っ張りながら成形する「垃麺(ラーミエン)」があるが、明治43年に浅草で開店した「来来軒」がこれを提供したことによる、ともいわれる。あるいは、また、大正10年開業の「竹屋食堂」(札幌)こそがラーメンの名付け親だともいわれる。中国人コックが、注文にこたえる「好了(ハォラー)からラーメンを思いついたというのだ。こうした諸説のいずれが本当の由来かはわからない。あるいは、どれもが正しく、それぞれがラーメンの呼称が定着させる役割を果たしたのかもしれない。

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