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Channel: 宇都宮餃子連
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餃子の街の駅弁当 4 始祖・宇都宮餃子弁当

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餃子の街の駅弁当 4 始祖・宇都宮餃子弁当
平成5年(19931119日、はじめて駅弁が販売された宇都宮駅で、これもはじめての餃子駅弁が販売された。その名も「始祖・宇都宮餃子弁当」、容器は餃子をイメージした半月形。真っ赤な掛け紙の中央は、餃子の形が白く抜かれ、これも「おまかせ!山田商会」で誕生したキャラクターが大きく描かれている。「私の名前は〝ウェイ・ウェイ″と申します。どうぞヨロシク!!」と自己紹介している。漢字で書けば「味味」だが、同音の繰り返しは、パンダの名前にあやかったのだろうか。
 
弁当の中身は、梅干しを乗せたごはんを下部に配し、焼餃子が4個と揚げ餃子が3個。餃子の兄弟分のシューマイと、お馴染みのザーサイも添えられている。揚げ餃子は、冷めても美味しいと宇都宮ではすでに定番。特に、ビールとの相性がよく、おつまみとしても食べられるという配慮だろうか。駅弁を扱うウエブサイトとしては、おそらく一番充実しているであろう「駅弁資料館」でも、「確かに焼き立てではないと言われてしまえばそれまでだが、冷めてこれだけ良い味が出るものは思い浮かばない」と高評価を得ている。
 
イメージ 1
 
宇都宮餃子会の発足が713日、餃子弁当の発売が1119日である。この間、僅かに4か月しかない。実際は、「おまかせ!山田商会」での「宇都宮餃子大作戦」の放送開始が10月なので、1か月そこそこで餃子弁当は完成されたことになる。新たな餃子を開発するのは不可能とは言えないがかなり困難であろう。番組内で、餃子弁当の試作に当たったのは、餃子会事務局長の平塚康だったが、番組では、餃子を弁当にする際の難問である「匂い・臭い」の解決に奮闘・苦闘する平塚の姿が放送された。食物の臭い消しのため、さまざまな香辛料を加えた餃子の試作と試食が繰り返された。香辛料の専門家を訪ねたり、参考のための試食のためのロケもあった。先にも述べたが、餃子発祥の地である中国では、餃子にニンニクを入れることはない。宇都宮の餃子は、この餃子の作り方を現地で覚えてきた人によって始まった。だから、宇都宮の餃子は、ニンニクを入れないか、入れるにしてもその臭みを抑える製法がすでに確立されていた。悪戦苦闘などは必要がなかった。だが、番組としてはそうもいかない。「餃子駅弁を作りましょう」、「できました」の間に何の曲折もないのでは、番組は作れない。平塚が「苦労を重ねる」必要はあった。こうして、駅弁に最適な餃子が完成するのだが、それは宇都宮餃子会の某店の餃子だったのは紛れもない。
 
「始祖・宇都宮餃子弁当」の販売に協力したのは、富貴堂だ。富貴堂は、明治19年の創業だが、当初はパン屋だったらしい。明治28年には駅売りを開始、その後駅弁の製造・販売にも乗り出した。パン屋としては、学校給食指定工場にもなっており、駅弁専業ではなかったようだ。そのため、駅弁の掛け紙にも「富貴堂弁当部」と記されている。
 
発売初日は200個が用意されたが、すぐに完売した。好評に力を得て、初めはテレビ番組のイベントだった餃子駅弁は、宇都宮駅構内で販売される駅弁の仲間入りを果たした。富貴堂には、そのための餃子が供給され続けた。掛け紙に「餃子製造元 宇都宮餃子会」と記されているのは、つまりそういうことである。

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